3.11 1

1年です。

3月11日のことは今でも鮮明に
覚えています。
私の住んでいる茨城県南は
たしか震度6弱。


2011年3月11日14時ごろ。
あたしのクラスは調理実習してて
パスタとかパフェとかケーキとか
色々作って、
ちょうどいただきます!する直前
あの、地震が起こりました。

といってもいつものような軽い揺れ。
最近地震多いよね、って
友達と話してたら、
一気にガタン!って横に揺れ、
思わず倒れこんだ。
机の下に隠れた。今まで感じたことのない
揺れに、16年間生きてきて、初めて
「死にたくない」
って強く思いました。

全校生徒、校庭に避難。
吐いちゃう後輩、パニックになって
呼吸困難になる生徒。
2時間外で待機をし、そのあと体育館
に移動。友達8人くらいで固まって
1つの毛布にくるまってて。
いきなりなおが泣きだしたから、
なんかあたしまで泣いちゃって。
8人みんなで、なんなのこれ、って
言って泣いてました。

路線組は体育館で一晩過ごし、
家が近い私は徒歩でそのまま帰宅。
コンビニはもちろん停電。
レジも動かない状態で、店員は
手書きや電卓で計算してて。
もう混雑してて、万引きがおきても
全然おかしくない状態なのに
みんな長い列を並んでお会計してた。

家の前にパパがいた。
家の中、気をつけて、ゆきの部屋も
大変なことになってるから、って
小さい声で言われて
家に入るのが怖くなった。
家の壁はすこしボロボロしてて、
部屋の中はすごいことになってた。
窓はどこも全開に開いてしまってた。

水が出ない。
電気がつかない。
ガスが使えない。
テレビが見れない。

1つの部屋に家族5人で固まって
懐中電灯とラヂオを頼りに
情報を聞いていた。
ほんとうに寒かった。
不安で、どうしようもなくて
お菓子や菓子パンを食べまくった。

夜11時。
電気が復活。
テレビを見た瞬間鳥肌がたった。
なんだこれ、って。
ありえないだろ、って。
東北地方の被害の映像が
まるで映画を見てるようだった。

ままが逃げる用意をしはじめた。
あんたもいつでも逃げれる用意
しときなさい。って言われた。
悲しくなった。すんごい。
その日は1つの部屋でみんなで寝た。
何回も鳴り響く緊急速報と余震。

ずっと携帯やってた。
不安すぎて眠れなかった、11日の夜。

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